梶文彦の「ニッポンものづくり紀行」 その77|大きな高低差と蛇行する難路――絹の道
これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。
大きな高低差と蛇行する難路――絹の道
先に紹介した地図の八王子から横浜に向けて伸びるルートは、ほぼ絹の道と重なるが、この道を、当時の英国人たちは、は大山登山の帰りに通っている。
このルートが難路だったことを示す碑がいくつか残されている。国道16号線(八王子街道)の、一つは下白根、もう一つは和田にある道橋改修碑である。
この辺では、国道16号線に沿って帷子川が流れ、相鉄線がその南側を走るが、鶴ヶ峰と西谷の中間、下白根のあたりで帷子川が国道16号線に近づく。
横浜から行くと、北側の丘陵が国道に迫り、南に帷子川が10メートルほどの落差で流れる。
写真は白根村道橋改修碑で、右に上がっていく道が旧八王子往還、「絹の道」である。手前を帷子川が流れる。
いまは4車線の道路が走るので急峻さは感じないが、当時、ここを行くとすれば、帷子川を渡った後、数十メートルの落差の崖を登りながら横にトラバースすることになる。
牛馬と荷駄で越えるのも難儀しそうだ。和田村道橋改修碑の地形も同様で、絹の道は背後に迫る丘陵と帷子川の間のニッチなロケーションにある。
この2つの改修碑は、江戸時代1700年代の中頃に建てられたもので、勧進元は江戸に住む個人である。財を成した人が、功徳のために私費を投じて社会に還元する、江戸時代とはそうした発想がしぜんに行われた社会でもあったのである。
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梶文彦氏執筆による、コラム「ニッポンものづくり紀行」です。梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています!
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