梶文彦の「ニッポンものづくり紀行」 その75|八王子と横浜をつなぐ最短の道――シルクロードは「桑の里」

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

八王子と横浜をつなぐ最短の道――シルクロードは「桑の里」

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甲州街道から八日町で分かれて片倉-鑓水-相原-原町田-川井-白根-芝生-野毛-関内-象の鼻(横浜港)と続く八王子往還・浜街道は多くの商人が通った絹の道である。

もともと八王子往還は、起伏に富んだ悪路で知られた道だが、それがゆえに熟知した鑓水商人の役割が大いに重要でもあった。絹の道とはどんな道だったのか、往時をしのびながらたどってみる。

八王子と横浜を結ぶ「絹の道」のルートはいろいろ考えられるが、なかでももっとも有力なのが、八王子を発して、片倉-鑓水を通り、町田市相原・橋本―原町田―鶴間―川井-横浜市旭区今宿―松原商店街で、東海道と合流し、浅間下を南に折れて平沼-野毛を経て横浜港へと向かうルートである。

いまこのルート周辺は首都圏のベッドタウンであり、大きく様変わりして、かつての面影はあまり残っていない。

写真の地図は、当時は当時の様子を示す数少ない地図である。

1859年には横浜、函館などの港を開いたことで、多くの外国人が横浜にやって来た。そうした外国人は居留地に住むことを求められ、旅券なしで旅行できるのは、多摩川以南の10里四方と定められた。

この地図は、居留地に住んだイギリス人たちが居留地から出て乗馬や遠出を楽しんだコースを示すものだ。

慶応3年か、明治元年に作成。左上に八王子(Hatchoge)があり、そこから下がって橋本(Ashomoto)、木曽、原町田(Haramatchoda)、保土ヶ谷(Hodogaya)を経て、横浜(yokohama)までのルートが記されている。

地図のあちこちに「Mulberry District」の文字が見える。桑の里である。言い換えれば、この地域で桑が大量に栽培され、養蚕が行なわれていたということになる。

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梶文彦氏執筆による、コラム「ニッポンものづくり紀行」です。梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています!
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