梶文彦の「ニッポンものづくり紀行」 その60|鉄道の敷設で消えた鑓水商人と絹の道
これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。
鉄道の敷設で消えた鑓水商人と絹の道
輸出のエースである生糸を江戸・横浜に運ぶ、東北や上越方面からの水運を利用したルート、八王子からの絹の道は、幕末から明治の初めに我が国の生糸貿易を支えた大動脈でもあったが、時代とともに歴史の表から消えてしまった。
荷駄に変わって、大量に輸送できる鉄道が開通したのである。
1872年(明治5年)に新橋-横浜間が開通。最初は途中駅がなかったのでノンストップで走った。荷駄で運べばほぼ1日かかる25kmほどの距離が、わずか35分に短縮されてしまったのである。前年には、東京-横浜間を蒸気船の摘便が開通している。荷駄で運ぶ時代は、終りはじめていたのである。
1883年(明治16年)には上野-熊谷間、翌年には熊谷-前橋が開通し、111.4kmが鉄道でむすばれた。さらに、新宿-立川間の27.2kmに甲武鉄道が開通したのは1889年(明治22年)。新宿-立川間を1時間で走った。
平均時速30km、1日の徒歩分の距離が1時間で行ける。圧倒的な便利さに、荷駄や水運は駆逐されていった。そして、1908年(明治41年)東神奈川-八王子間の横浜鉄道が開通。これらの路線からも分かるように、日本の鉄道整備は、生糸輸送を目的に行われていった。
茂木惣兵衛店舗と神奈川新聞社社屋。この間わずか150年の変化の以下に大きなことか。ヨーロッパの大都市にとって150年の変化はほぼないに等しい。私たちがいかに急激に走ってきたかを物語るものと言えよう。
1872年、イギリス人技師モレルの尽力で横浜-新橋に初の鉄道が開通した。横浜はいまの桜木町駅あたりにあった。桜木町駅から関内よりに50mほど行ったところに鉄道創業の地碑がある。すぐ横の高架を根岸線が走っている。
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梶文彦氏執筆による、コラム「ニッポンものづくり紀行」です。梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています!
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