梶文彦の「ニッポンものづくり紀行」 その80|横浜港への関門……カネの橋「吉田橋」
これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。
横浜港への関門……カネの橋「吉田橋」
安政6年(1859年)によこはま道を作った際に、大きな課題は、最後の開港場のつなぎだった。
砂州を埋め立てて開港場を作ったが、その手前、伊勢山下・野毛との接点が内海として残っていたのである。
当初は仮りの橋が作られたが、安政7年(1860年)になると、太田新田が開港場として整備されるとともに、本橋がかけられ、新田を太田町と名前を付け、新しい橋を吉田橋と呼んだ。
そして、攘夷を狙う暴漢から異人を守るため、吉田橋に開港場への通行を取り締まる関門を設け、ここから港寄りの地区を関門の内側、つまり「関内」と呼んだ。JRの関内駅の名は、関門があった当時の名残である。
この吉田橋は当初は、木製の橋だったが、生糸貿易が盛んになるにしたがって人通りが増え、明治2年(1869年)10月にイギリス人の土木技師R・H・ブラントンに設計を依頼して、鋼鉄製の橋を完成させた。素材の鉄はイギリスからの輸入である。
橋と言えば木製の時代に、「鉄(カネ)の橋」の愛称で人気になり、これを渡るために訪れる見学者も多かったという。
鉄製の橋は文明のあかし。幅6メートル、長さ24メートル。鉄材を交叉させて三角形に組んだトラス構造(横浜市立中央図書館所蔵)。
同じ明治2年に造られた長崎の中島川にかかる銕橋(くろがねばし)とともに、わが国最古の鉄橋である。
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梶文彦氏執筆による、コラム「ニッポンものづくり紀行」です。梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています!
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