梶文彦の「ニッポンものづくり紀行」 その56|ロジスティックスが市場を制する

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

ロジスティックスが市場を制する

リンク:表2 国別生糸生産高の変遷

明治初めの国内の生糸生産量をみると(表2)、東北、北関東、山梨、長野が多い。岩代は、福島市・二本松市あたり、羽前は山形県の酒田・飽海郡を除いた部分である。

江戸時代初期には養蚕家が繰糸・糸づくりをしていたが、中期になると地域の繭を集めて製糸する人が独立し、後期になると繊維に合わせて糸を撚る撚糸業が独立する。

ここで養蚕、製糸、撚糸の分業ができる。生糸商人が活躍するのは、製糸された生糸を繊維にするために撚糸業者に販売する、その間のつなぎ役であった。

幕末から明治にかけて、日本の養蚕地帯として、大きく3つの地域、①福島を中心とした東北、②上州、上信越、埼玉、③長野県南・山梨など・・・があり、産地から生糸を江戸・横浜に運ぶルートはいくつか使われていた。

江戸時代には参勤交代という制度があって、江戸・日本橋を起点として5街道(東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道)が整備されていた。参勤交代はこうした街道を利用して行われた。しかし5街道はどちらかと言えば公用道の性格は強く、駅ごとに荷を積み替えねばならないなどの制約が多く、一般には街道を避けて脇往還や舟運などが活用されていたようだ。

日数がコストにつながり、相場取引が基本の生糸は時間が肝心で、ロジスティクスは成否を決めるポイントになっていたのである。

表は、国内産の地域別の生糸生産高の変遷。当時の養蚕は、上野、武蔵、信濃、岩代、甲斐、羽前などがさかんで、開港後もこれらの産地から横浜に出荷された。

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梶文彦氏執筆による、コラム「ニッポンものづくり紀行」です。梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています!
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