梶文彦の「ニッポンものづくり紀行」 その28|唐の時代のロケが、中国ではなくて日本で行われるわけ
これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。
唐の時代のロケが、中国ではなくて日本で行われるわけ
「恋々風塵」「冬冬的假期 (トントンの夏休み)」「悲情城市」などで知られる台湾の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の新しい映画「黒衣の刺客」が9月12日から公開されています。
第68回カンヌ国際映画祭で監督賞を獲得した作品です。
この映画、唐の時代の中国での話なのですが、屋敷などの場面は日本の京都や奈良、兵庫の古刹でロケが行われているのです。
なぜ、唐の時代の作品が日本で?と思いますが、「唐の時代の建物に近い構造を中国で探すのは非常に難しい。奈良の唐招提寺が修理中で、屋根を解体しているのを見たら、すべてではなく、古くなった一部だけを取り換えていた。だから、構造がずっと残るんだなと感心しました。・・・普通なら大金をかけて唐の街をセットで組み立てるところを、自然や風景は中国、建物は日本でロケをして完成させることができた」とホウ監督。
唐の時代と言えば、7世紀から9世紀ころで、日本では、法隆寺が600-700年初め、薬師寺はその半世紀ほど後、唐出身の鑑真が開基である唐招提寺はそのまた半世紀ほど後・・・と、ちょうど唐の時代と重なります。
残念ながら唐の時代の古い建物は中国には残されておらず、日本の薬師寺や唐招提寺などの両塔の伽藍形式が、世界で唯一残されている貴重な遺産・・・というわけなのです。
日本では、法隆寺以降、伽藍(寺社建築)様式の変化があり、法隆寺は高麗尺(朝鮮の尺=356.4ミリ)で建てられていますが、薬師寺は唐尺(=297ミリ)という中国の尺度で建てられています。
1995年に亡くなった文化功労者の宮大工・西岡常一棟梁は、「法隆寺伽藍は朝鮮から技術者が入ってきて指導にあたったが、薬師寺は、直接、大陸からえらい入が来たんやないか」と、推測しています。
世界にある1000年以上の石づくりの建築物が、崩壊しつつある中で、時代を経てもなお美しさを保って屹立している日本の木づくりの寺社。日本人の英知に誇りを持ちたい。
時代が変わっても、為政者が変わっても、手を入れつつ、1300年間も維持し続ける継続性を私たちは世界に誇っていいと思います。
写真は映画「黒衣の刺客)より。
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梶文彦氏執筆による、コラム「ニッポンものづくり紀行」です。梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています!
地球の歩き方「Look Back Japan –ものづくり強国日本の原点を見に行く」連載中!