梶文彦の「ニッポンものづくり紀行」 その13|繊維産業の集積地桐生・足利に見る「残る技術/消える技術」

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

繊維産業の集積地桐生・足利に見る「残る技術/消える技術」

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富岡製糸場が世界遺産になったことで、同時に注目されているのが、繊維の街として知られる桐生と足利です。

2つの市は同じように、繊維産業が集積している町なのですが、両町の進み方は大きな違いがあり、その違いが現在の街づくりにも、大きく影響しています。

もともと、この地区の繊維産業は、桐生から始まりました。最初に京都の西陣から機織り技術を導入したのは桐生で、桐生の技術が周辺に伝播していくなかで足利に機織りが導入されました。西陣の技術をいち早く導入して技術の先端を走る桐生に対して、足利は、「桐生に追い付け追い越せ」を目標に進んできました。

しかし、つねに技術と名声は桐生にあり、足利はなかなか追い越せません。そこで足利が注目したのは、桐生の高級路線に対する、大衆路線でした。市場の、より多くのニーズをターゲットにすることで生き残りをめざしたのです。

絹を中心に高級路線で機織を続ける桐生に対して、足利は絹・綿・合繊・混紡・・・と新しい素材に目を向け、安価な製品を創り出して、市場のニーズに対応することで、独自の繊維集積地として生き残りを図ってきました。

この結果、桐生の街には昔ながらの技術が根付き、現在でもノコギリ屋根の機織工場がたくさん残りました。他方、足利の町は、技術革新によって生まれる新しい素材に合わせて、量産技術を開発し、自動化設備を導入することで、ノコギリ屋根の機織工場は姿を消していきました。

残る技術と変わる技術。産業の集積地としての2つの路線を、永遠のライバルともいうべき両市に見ることができます。

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梶文彦氏執筆による、コラム「ニッポンものづくり紀行」です。梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています!
地球の歩き方「Look Back Japan –ものづくり強国日本の原点を見に行く」連載中!